好きな作家に似てくる?

好きな作家とか、最近読んだ作家に、文体が似てくるよねー。

そんな話で目の前で共感しあっている2人を見ながら、自分には全く身に覚えがないことに気づく。 共感するしないの前に、そんなことを考えたことないので、驚いてしまった。そうなの? そういうもんなの?

けど、そりゃそうか。影響受けないのもおかしいか。しかし、自分にもそんなことが起こっているのか、全くわからなかった。

小説で、ほぼ全作品読んで、追いかけているのは伊坂幸太郎くらいだが、似てると思ったことがない。似せようと思ったこともない。似た感じで書けるものだとも考えたこともない。

伊坂幸太郎氏のストーリーも好きだが、文体や語り口が好きなのは確かだ。好きな文体なので、どんな話でも気持ちよく読める。自分に合っているんだと思う。なので、影響は受けているとは思うが、自分の書く文章に表れているとは思えない。残念ながら。

中学の頃を思い出して

もっと昔、物心ついたときに読んでいた作家だと影響が出ていたりするのだろうか。で、誰だ? と考えると、中学の時、少し離れた図書館に通っていたことを思いだす。

石田くんが貸してくれた、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』で何となく読書にはまり、冒頭が長たらしくて読みにくい『指輪物語』を途中から止められなくなって、全6冊を順番に借りていったなぁ。

『指輪物語』なんて、TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)のルールブック買って、ゲームマスターをしながらみんなと遊んもんだぞ。

ファンタジーものとか、SFものとか、サスペンスものとかよく読んだな。

待てよ、なんか自由に書くとき、『指輪物語』の影響はあるのかもしれないぞ。同じJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』とか、こっちの方が読みやすかったけど、そんなのが根底にあるかもしれない。

けど、翻訳もんじゃん。何だかな。好きな作家からの影響と言っていいものだかどうか。

しかし、わしら影響を受けてるとしたら、そんなところかもしれないぞ。わしら、えいきょううけてるかもしれない。ゴクリ。いとしいしと、なんねえとも、いとしいしと。ゴクリ。

2019-11-02 22.52.03.jpg